文化・スポーツ

きつねの贈りもの

きつねの贈りもの むかしむかし、働(はたら)き者(もの)で心(こころ)のやさしい、長兵衛(ちょうべえ)という百姓(ひゃくしょう)がいました。長兵衛(ちょうべえ)は、朝(あさ)に夕(ゆう)に、百姓(ひゃくしょう)の暇(ひま)をみては、鉄砲(てっぽう)をかついで山(やま)に入(はい)り、鳥(とり)やけだものを獲(と)って暮(く)らしていました。

 ある日(ひ)の夕方(ゆうがた)、長兵衛(ちょうべえ)は妙見山(みょうげんやま)の山道(やまみち)で、初老(しょろう)をちょっと過(す)ぎた品(ひん)のいい親父(おやじ)と出会(であ)いました。そして、二(に)・三日(さんにち)たって、また同(おな)じ山道(やまみち)でこの親父(おやじ)と出会(であ)いました。長兵衛(ちょうべえ)は、このあたりにこの親父(おやじ)が住(す)んでいると聞(き)いたことがないので、どこの人(ひと)だろうと思(おも)い振(ふ)り向(む)くと、親父(おやじ)も長兵衛(ちょうべえ)の方(ほう)を振(ふ)り向(む)き、ニッコリとほほえみました。

 その後(ご)、何回(なんかい)となく出会(であ)ったある日(ひ)、この親父(おやじ)は、立派(りっぱ)なあわせにもんぺを履(は)き、その上(うえ)に袖(そで)なしを着(き)て、頭(あたま)に頭巾(ずきん)をかぶり、立派(りっぱ)な草履(ぞうり)を履(は)いて、ゆっくりと歩(ある)いてきました。そして、右手(みぎて)に朱(しゅ)ぬりの柳(やなぎ)樽(だる)、左手(ひだりて)には小風呂敷(こぶろしき)に包(つつ)んだお包(づつ)みを持(も)っていました。長兵衛(ちょうべえ)は意(い)を決(けっ)して、「突然(とつぜん)で失礼(しつれい)ですが、あなたさまはどなたでしょうか。」とたずねると、「私(わたし)は、太郎(たろ)兵衛山(べえやま)に住む太郎(たろ)兵衛(べえ)というものです。あなたさまには、何度(なんど)もお会(あ)いいたしましたが、何(なん)のあいさつもしませんで、大変(たいへん)失礼(しつれい)いたしました。実(じつ)は、私(わたし)が妙見山(みょうげんやま)のふもとの庵(あん)太郎(たろう)の息子(むすこ)のところへ、墓地(ぼっち)石(いし)に住(す)むおよしの娘(むすめ)を世話(せわ)をし、今日(きょう)は小樽(こだる)入(い)れで祝儀(しゅうぎ)の日取(ひど)りを決(き)めるために墓地(ぼっち)石(いし)に行(い)くのです。庵(あん)太郎(たろう)さんから連絡(れんらく)がいくと思(おも)いますが、祝儀(しゅうぎ)にはぜひおいでを願(ねが)います。」と言(い)われました。

 おっつけ、庵(あん)太郎(たろう)から祝儀(しゅうぎ)に来(き)てくれるようにと使(つか)いの者(もの)が来(き)て、長兵衛(ちょうべえ)は、その日(ひ)を指(ゆび)おり数(かぞ)え、祝儀(しゅうぎ)に大喜(おおよろこ)びで出(で)かけました。そして、長兵衛(ちょうべえ)が行(い)くと、ちょうど花嫁(はなよめ)が馬(うま)で乗(の)り込(こ)んだところでした。庵(あん)太郎(たろう)の家(いえ)は、たいそう立派(りっぱ)なつくりで、座敷中(ざしきじゅう)に真(ま)新(あたら)しい畳(たたみ)が敷(し)きつめられ、客人(きゃくじん)が大勢(おおぜい)よばれて集(あつ)まっていました。そして、誰(だれ)ひとりとして知(し)った顔(かお)のない客人(きゃくじん)の中(なか)で、長兵衛(ちょうべえ)は、ご指南役(しなんやく)で三(み)つ紋付(もんつ)きの羽織(はおり)袴(はかま)のよく似合(にあ)う太郎(たろ)兵衛(べえ)を、上座敷(かみざしき)の床柱(とこばしら)の前(まえ)にみつけるとなぜか大変(たいへん)安心(あんしん)し、夜(よ)の更(ふ)けるのも忘(わす)れ深夜(しんや)まで山海(さんかい)の珍味(ちんみ)と酒(さけ)をたらふくごちそうになりました。そして、いつしか酔(よ)いがまわってそこで寝(ね)てしまいました。

 次(つぎ)の朝(あさ)、目(め)を覚(さ)ますと、そこは庵(あん)太郎(たろう)の家(いえ)ではなく、妙見山(みょうげんやま)の笠松(かさまつ)の下(した)の芝原(しばはら)でした。長兵衛(ちょうべえ)があわてて起(お)き上(あ)がると、そばに風呂敷(ふろしき)包(づつ)みが一(ひと)つ置(お)いてあり、あけてみると、お祝(いわ)いと書(か)いたのし紙(がみ)の下(した)に立派(りっぱ)な反物(たんもの)が二(に)反(たん)入(はい)っていました。

 長兵衛(ちょうべえ)はこれを持(も)って帰(かえ)り、あまりに立派(りっぱ)な反物(たんもの)なので、家(いえ)で使(つか)うにはもったいないので取(と)り替(か)えてもらおうと、ある店(みせ)に行(い)くと、「二(に)・三日前(さんにちまえ)、一人(ひとり)の上品(じょうひん)な奥方(おくがた)様(さま)がみえられ、祝儀(しゅうぎ)の使(つか)いものにと、この店(みせ)の中(なか)で一番(いちばん)極上(ごくじょう)の反物(たんもの)を二(に)反(たん)持(も)っていかれたが、確(たし)かにそのときは代金(だいきん)はいただきましたのに、後(あと)で勘定(かんじょう)しますと、金(かね)が合(あ)わず、その代(か)わりに木(き)の葉(は)が二枚(にまい)入(はい)っていただけなので、家内中(かないじゅう)でもめていたところでした。私(わたし)もあなたも、こりゃ、きつねにバカにされたんでしょうね。」と、主人(しゅじん)は反物(たんもの)を見(み)ながら言(い)いました。

心(こころ)のやさしい長兵衛(ちょうべえ)は、「それでは、この反物(たんもの)をお返(かえ)しいたしましょう。」と言(い)うと、「めっそうもない。これはきっと利口(りこう)なきつねのしたことでしょうから、そんなことをしたら、きっとばちがあたります。その反物(たんもの)は、あなたにさし上(あ)げますから、どうぞあなたのお好(す)きなようにお使(つか)いください。」と、その店(みせ)の主人(しゅじん)に言(い)われ、一生(いっしょう)かかっても使(つか)いきれないほどの反物(たんもの)と交換(こうかん)してもらいました。

そして、きつねたちが「私(わたし)たちは、隣(となり)近所(きんじょ)に決(けっ)して悪(わる)いことはしませんから、どうぞ、私(わたし)たちを鉄砲(てっぽう)で撃(う)たないでください。そのお礼(れい)として反物(たんもの)をさしあげますから。」と、長兵衛(ちょうべえ)に言(い)っているようにも思(おも)え、以後(いご)、悪(わる)さをしない限(かぎ)り、決(けっ)して鳥(とり)やけだものに鉄砲(てっぽう)を向(む)けなかったそうです。

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