文化・スポーツ

赤坂舘跡(あかさかだてあと)

赤坂舘
赤坂舘跡

 現在は「館山公園」として村内外の方々に親しまれているこの館山にも、室町時代から戦国時代にかけては、「赤坂城」というお城が建っていました。当時はこの急峻な館を上った山頂部(標高482メートル)に、詰ノ城としての本郭がありました。また、この本郭からはまるで舌を伸ばしたような尾根が放射状に延びており、そこには階段状の小さな郭も見れらました。館は南北約400メートルの規模があり、隣に見える「壇ノ丘館」との間の窪地を底辺として、館の東側を北に流れる鮫川と、館を挟んで反対側に流れる真坂川を自然の水濠に見立てていたようです。これら自然の利を利用した赤坂城の周りには戦国時代にさらに縦堀が掘られ、敵からの攻撃に対しての防御力は相当に高く、領内侵攻の阻止、また籠城作戦においての軍事拠点などに活用されていました。
 赤坂氏のこの地域での隆盛は鎌倉時代にさかのぼるといわれていますが、天正18年に行われた豊臣秀吉による奥羽仕置により赤坂城は破却され、赤坂朝光は関ヶ原合戦後の慶長7年(1602)、佐竹義宣の秋田国替に従って久保田城下に移りこの地を去りました。

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