先輩たちに聞きました

移住者に聞きました。

Uターンの先輩

さめがわ豆新聞 高木千春さん

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「私のパワースポット」

 一度も鮫川村を離れたことがなかった私が心機一転、転職のために村を離れたのは30歳を過ぎてからでした。高校を卒業してすぐに勤めた会社は村から20分程度の距離にあったため、自宅を離れるという選択肢はなく、慣れ親しんだ村を離れることになったのは33歳の時でした。それまで勤めていた新聞社から鞍替えし、雑誌社への転職を決め、初めて村を離れたのです。
 しかし、一人暮らしの寂しさや新しい環境、慣れない仕事のストレスが溜まり、少しずつ元気をなくしてしまいました。そんな時、思い出すのは故郷の鮫川村。連休に帰ると、家族や知人たちの温もり、豊かな自然に癒され、パワーをもらっていました。
 そんな故郷に恩返しがしたいとUターン。一念発起して地元密着の地域紙を立ち上げました。村民の方々は私の挑戦を温かく見守り、応援してくれました。早いもので、創刊からもうすぐ1年です。
 村民のみなさんは変わらず家族同然のように接してくれ、応援してくれます。鮫川村、そして村民のみなさんは、私にとってパワースポット的な存在です。いつも元気と勇気をくれます。そんな村民のみなさんに恩返しをするとともに大好きな鮫川村を元気にすべく、これからも人と人をつなぐ新聞づくりに邁進したいと思います。

デザインオフィス シナプス 代表 窪木 浩一(42歳)

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「都会に短し田舎に長し」 
 鮫川にUターンして8年程経ちました…
 郡山市に学生時代を含めると11〜2年程住みましたがいまだに便利さや仕事のしやすさを考えれば圧倒的にラクなのは郡山市の方です。元々独立して在宅でデザインの仕事をしていて、田舎では出来ない仕事だと思っていましたし、帰郷を機に転職も視野にありました。ところが…実はデザイナーのゴロゴロいる都市部より人目に付きやすいし、意外と需要がある事に気がつきました。移住して数ヶ月、30代半ばの自分にとって「選ばなければ職はある…」では納得がいくハズもなく、私にはデザインの道しか自分を活かせる場所が無いと思い知る結果になりました。
 田舎ならでは…先輩の誘いにより地元商工会・青年部等の活動を通じ、都市部でクライアントからの下請けだけの生活から新たな繋がりや顧客にも恵まれ、むしろ帰ってきて仕事が軌道に乗るという感覚を味わいました。オタク気質・コミュ障な私が部屋の中だけで仕事し、極力は人との接点を最小限に留めたいと思っていたのに180度根底から変えられ、今では色々な繋がりに生かされている自分。
 多分すべての人に当てはまる事では無いと思いますが、きっかけ次第で価値観がガラリと変わる面白さを「田舎」は持ってたりします。失敗したく無い…でも飛び込んでからしか見えてこない“可能性”もあると身を持って学びました。

澤村早苗さん

「変わらない日常」

 以前は県内の中核市・学校・病院・役所・大きな公園・ショッピングモールが徒歩圏内にある場所に住んでいました。
主人との会話の中で「以前の生活と今の生活で何か変わったことろはあるか?」と。「食生活、変わらない。」「着る物、変わらない。」「休みの過ごし方、変わらない。」特に変わったことはないね。今はネットがあればどこでも何でも出来るからね。逆に変わったところは?夜は静かで夏は涼しい。四季を感じ生活できる豊かさ。何もないから何か出来るんじゃないかと発想力が増す。」確かにそうだね。と。鮫川村に帰ったすぐの時は、病院も遠いし、何かあったらと思いましたが、こちらに来てからは、みんな体が丈夫になり、あまり病院に行かなくなり、学校への通学はスクールバスを利用しているので心配いらず。公園が近くになくても外にでれば遊べる環境。公共サービスも利用し、体験型学習をさせたりすることが出来ています。その一方で新たに住居を探すとなると、即入居可の物件や年収にかかわらず定額で入居できる物件が少ないなど、家を探すとなると気になる点もあります。
 学校の閉校で高校進学や通学の問題もあり、今後については少し悩んでいますが、それを差し引いても鮫川に住んでいたいなと考えています。

住むなら・住んでいるなら、
「今できることをとことん楽しもう!!」
その気持ちが持てる人が田舎暮らしに向いていると思います。

森田慎也さん

morita

鮫川村で生まれ育ち、結婚を機に24年住んだ鮫川村を離れました。新生活の場所は、車で5分以内にスーパー、コンビニ、駅、病院がある整った環境でしたが、慣れない土地のアパート生活は、なんとなく不安や寂しさを感じていました。
 妻の妊娠と退職を機に、私の職場に近い場所に引っ越すことを選択しました。第一子誕生を迎えるにあたり、なるべく生活の負担を軽くしようと住居を探していた時に目に留まったのが、現在居住する鮫川村営住宅でした。子育て世代のUターン、Iターンの受け皿として、村営住宅の整備は良い施策だと思います。
 鮫川村に移り住んで7年が経ちました。次女も誕生し、子供たちは鮫川村の自然と地域の方々の温かさに見守られてのびのび成長しています。また、鮫川村へのUターンは私自身にも成長の機会を与えてくれました。以前とは全く違う視点で鮫川村を見ることができたのです。美しい自然の風景、先輩たちが作り守ってきた伝統行事、若い力が作る新しい特産物や行事などに触れ、鮫川村の魅力を再発見することができました。
 地方地域は過疎化が加速し、鮫川村もその問題に直面していますが、私たち子育て世代が村を見つめ直し、盛り上げていくことが必要だと感じています。私も微力ながら地元景勝地に積極的に足を運び、村の小さな広告塔となれればと、村を楽しみながら自身のSNSで魅力を発信しています。そんな、鮫川村で楽しんでいる大人の姿を見て、村の子供たちも故郷を好きになってくれたら良いなと感じています。

赤坂 淳さん

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 今思えば実家に帰ってきた10年前、「絶対に帰らないとイケないんだ!」というガチガチの使命感、責任感があった訳ではなく、ただただ自然と「実家にそろそろ戻らないとなぁ」と思ってのUターンでした。
 戻って来た時、私は29歳。18歳で地元を離れ10年が過ぎた時でした。
 当時私が思っていたUターンの理由、言い訳を列挙すると、
・40歳近くで実家に戻ると、地域との関係が希薄になりがちだと思うので、30歳ぐらいまでは戻らないと。
・今の会社(前職)のままでは自分のやりたい事がやれないから辞めて、実家に帰ろう。(家業を継ごう)(逃げ)
・中学1年生の時、全校生徒の前で「鮫川に住み着きます!(住み続けます!と言いたかったのだと思います)と宣言したから(笑)
 携帯の電波が届かなかったり、買い物も不便さを感じる鮫川村でしたが、そこは自分が生まれ育ったところ、嫌いになるはずもなく、むしろ愛おしささえ覚えます。漠然となのすが、大好きなんですよね。実家と家業という理由が、村が好きと重なった時がたまたま29歳の時だったのかもしれません。
 「しれない」という言葉からも分かるように、そんなに深く考えることなく私は村に帰ってきました。特に抵抗感もなく帰ることが出来たのは、生まれてから18歳まで私を育ててくれた両親や祖父母、地域の方々が「村の良さ」を与えてくれたからだと思います。出来る事ならずっと村が村であり続けてほしいです。

中島こずえさん

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「鮫川村に住むまで」
 私は、ここ鮫川村で育ちました。高校卒業後、進学を機に埼玉県に十数年近く住みました。昔から都会へのあこがれはそれほどではなく、むしろ田舎の方が自分でも落ち着くと感じていました。一度故郷を離れてみて、その思いは強くなりました。
 そのためか、埼玉県に住んでいても、緑の多い景色を求め訪れていました。もちろん埼玉県に住んだことで、町ならではの便利さも知ることができました。
 しかし心のどこかでは、いつかはまた鮫川村でも暮らしたいなと思っていました。ところが縁があり結婚した主人は人生で一度も埼玉県を離れてことがない方、私も故郷に帰る願いはもしかしたら、実現が難しいかもしれないと、半分あきらめていました。
 主人には、冗談交じりで老後の鮫川村に住もうよと話したりしていました。
 転機が来たのは、主人の転職先を探していた時でした。
「今の機会を逃したら、福島に戻ることができなくなると思うから福島でも就職先を探してみよう。」
の主人の一言で、本気で福島に戻ることを考えてくれていたんだと知り、うれしくなりました。主人の大きな決断により今の鮫川村での暮らしがあります。本当に主人に感謝しています。
 私たちが、鮫川村に住み4年が経とうとしています。大自然に恵まれた環境でのびのびと生活しています。主人の大好きなスポーツを通じて村になじんでいます。今では私より知り合いが多いのではないかと思うほどです。(笑)

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