文化・スポーツ

つかもと長者(ちょうじゃ)

つかもと長者 むかしむかし、馬(うま)を使(つか)っていわきの浜(はま)から塩(しお)を運(はこ)び、たくさんの使用人(しようにん)と塩蔵(しおぐら)を持(も)ち、この地方(ちほう)の塩(しお)の供給元(きょうきゅうもと)として大変(たいへん)あがめられ、何(なに)不自由(ふじゆう)のない生活(せいかつ)の「つかもと長者(ちょうじゃ)」と呼(よ)ばれた富豪(ふごう)がおりました。しかし、この長者(ちょうじゃ)にも一(ひと)つだけ悩(なや)みがあり、それは子(こ)どもがないことでした。

 あるとき、一人(ひとり)の旅(たび)の行者(ぎょうじゃ)が訪(おとず)れ、「あなた方(がた)は長年(ながねん)馬(うま)を酷使(こくし)したので、そのたたりで子(こ)どもが授(さず)からないのだから、観音(かんのん)様(さま)を信仰(しんこう)するように。」と言(い)われ、長者(ちょうじゃ)夫婦(ふうふ)は子(こ)ども欲(ほ)しさに観音(かんのん)様(さま)に毎夜(まいよ)そろってお参(まい)りし、「どうぞ子(こ)どもをお授(さず)けください。授(さず)かったなら我々(われわれ)のうちどちらでも四年(よねん)経(た)てば一(いち)命(めい)を絶(た)たれてもかまいません。」と悲願(ひがん)の誓(ちか)いをたてました。やがてその甲斐(かい)があってか玉(たま)のような女(おんな)の子(こ)が生(う)まれ、長者(ちょうじゃ)夫婦(ふうふ)の喜(よろこ)びようは例(たと)えようもなかったということです。

 月日(つきひ)の経(た)つのは早(はや)いもので、何事(なにごと)もなく七年(しちねん)が過(す)ぎた春(はる)、娘(むすめ)の成長(せいちょう)ぶりを方部(ほうぶ)の人(ひと)たちに見(み)てもらおうと、観音(かんのん)様(さま)の境内(けいだい)で花見(はなみ)の宴(うたげ)を開(ひら)きましたが、長者(ちょうじゃ)の日頃(ひごろ)のごう慢(まん)さに酒(さけ)も手伝(てつだ)ったのでしょう。「この観音(かんのん)様(さま)はうそつきだ。子(こ)どもが授(さず)かるようにお願(ねが)いしたが、子(こ)どもは授(さず)かるべくして授(さず)かったのだ。その証拠(しょうこ)に観音(かんのん)様(さま)のご利益(りやく)で子(こ)どもが授(さず)かったならば、四年(よねん)経(た)てばどちらか死(し)んでいるはずなのに、七年(しちねん)経(た)っても夫婦(ふうふ)そろってピンピンしているではないか。そうだ。神様(かみさま)なんてみんなそんなもんだ。」と、観音(かんのん)様(さま)をののしってしまいました。

 その後(ご)、誰(だれ)いうとなく「大明神(だいみょうじん)の戸隠(とがくし)様(さま)の人身御供(ひとみごく)の印(しるし)の白羽(しらは)の矢(や)が、長者(ちょうじゃ)の家(いえ)の屋根(やね)に立(た)っている。」と人々(ひとびと)に広(ひろ)まりました。この白羽(しらは)の矢(や)が立(た)った長者(ちょうじゃ)の家(いえ)では、娘(むすめ)を人身御供(ひとみごく)に差(さ)し上(あ)げなければならないのです。そこで大騒(おおさわ)ぎとなり、長者(ちょうじゃ)夫婦(ふうふ)は酒(さけ)の上(うえ)とはいえ、大変(たいへん)な事(こと)をしてしまったと大(おお)いに悔(く)い、神罰(しんばつ)の恐(おそ)ろしさに生(い)きた心地(ここち)もなく、娘(むすめ)を囲(かこ)み泣(な)き悲(かな)しむ毎日(まいにち)でした。しかし、こればかりはいくら泣(な)いても身代(みが)わりは許(ゆる)されず、定(さだ)めの夕刻(ゆうこく)、娘(むすめ)を長持(ながもち)に入(い)れ使用人(しようにん)にかつがせ、長者(ちょうじゃ)夫婦(ふうふ)も山(やま)のふもとまで付(つ)き添(そ)って送(おく)りました。そこで別(わか)れなければならない定(さだ)めでした。そして、夕(ゆう)もやに消(き)えるまでずうっと見送(みおく)りました。使用人(しようにん)たちは山(やま)の中腹(ちゅうふく)の定(さだ)めの場所(ばしょ)に娘(むすめ)の入(はい)った長持(ながもち)を下(お)ろすと、後(うし)ろも見(み)ずにほうほうの体(てい)で山(やま)を駆(か)けおりました。

 そして、娘(むすめ)は噂(うわさ)を聞(き)いて駆(か)けつけた例(れい)の旅(たび)の行者(ぎょうじゃ)から、「あなたは観音(かんのん)様(さま)の授(さず)け子(ご)である以上(いじょう)、親(おや)の不心得(ふこころえ)の罪(つみ)を受(う)ける訳(わけ)がない。心配(しんぱい)しないで心(こころ)静(しず)かにこれを読(よ)み続(つづ)けなさい。必(かなら)ずその功徳(くどく)によって助(たす)かります。」と、渡(わた)された一(ひと)巻(まき)の観音経(かんのんきょう)を、藁(わら)をもつかむ思(おも)いで一心(いっしん)に読(よ)み続(つづ)け、長持(ながもち)に入(はい)ってからも覚(おぼ)えた一節(いっせつ)を繰(く)り返(かえ)し唱(とな)え続(つづ)けました。しかし、夜(よる)もしだいに更(ふ)け、三(さん)更(こう)、四(よん)更(こう)(午後(ごご)十一時(じゅういちじ)から午前(ごぜん)三時(さんじ)ごろ)と経(た)っていきましたが、別(べつ)に変(か)わった事(こと)もなくシーンと外(そと)は静(しず)まりかえっていました。娘(むすめ)は恐(おそ)る恐(おそ)る中(なか)からそおっと長持(ながもち)のふたを開(あ)けると、外(そと)はすがすがしいほどの朝明(あさあ)けでした。「助(たす)かった。ありがたいありがたい。」と観音(かんのん)様(さま)に感謝(かんしゃ)すると、娘(むすめ)は山道(やまみち)を急(いそ)いで下(くだ)り両親(りょうしん)の元(もと)へ無事(ぶじ)帰(かえ)りつきました。

 その後(ご)、長者(ちょうじゃ)夫婦(ふうふ)は観音(かんのん)様(さま)をののしったことや自分(じぶん)たちのごう慢(まん)さを深(ふか)く悔(く)い、使用人(しようにん)たちに財産(ざいさん)を分(わ)け与(あた)え、どこかへ立(た)ち去(さ)ってしまったということです。そして、その屋敷(やしき)跡(あと)は今(いま)では知(し)る人(ひと)さえないそうです。

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