文化・スポーツ

福の神の野原

福の神の野原 むかしむかし、渡瀬村(わたらせむら)に太郎蔵(たろぞう)という農夫(のうふ)がいました。先祖(せんぞ)代々(だいだい)村(むら)一番(いちばん)の金持(かねも)ちで、毎日(まいにち)のように訪(たず)ねる客(きゃく)が絶(た)えることなく、多(おお)い日(ひ)には代(か)わる代(が)わる二十人(にじゅうにん)もの客(きゃく)がくることがあり、思(おも)うように家(いえ)の野良(のら)仕事(しごと)もできず、家中(いえじゅう)で接待(せったい)に大(おお)わらわということがしょっちゅうでした。ところが太郎蔵(たろぞう)の家(いえ)は、野良(のら)仕事(しごと)を人(ひと)より一生懸命(いっしょうけんめい)した以上(いじょう)に金(かね)も 入(はい)り 何(なん)の 苦労(くろう)もありませんでした。 
 しかし、 太郎蔵(たろぞう)は 大変(たいへん)な 欲深者(よくふかもの)だったので、 親(おや)からゆずられた 財産(ざいさん)をさらに 増(ふ)やそうとして 易者(えきしゃ)をたずね、「 私(わたし)の 家(いえ)には、 先生(せんせい)もご 承知(しょうち)のように 朝(あさ)から 晩(ばん)まで 来客(らいきゃく)が 多(おお)く 困(こま)っております。なんとか 客(きゃく)の 来(こ)なくなる 方法(ほうほう)はないものでしょうか。」と 占(うらな)ってもらい、「 扇(おうぎ)踊(おど)りをする 者(もの)を 弓(ゆみ)でうちとれば 客(きゃく)は 来(こ)なくなるであろう。」と 答(こた)えをもらいました。
 ある 朝(あさ)、 太郎蔵(たろぞう)が 目(め)を 覚(さ)まし、 東(ひがし)の 方(ほう)の 野原(のはら)をながめると、 朝日(あさひ)を 背中(せなか)いっぱいに 受(う)け、 扇(おうぎ)を 持(も)って 踊(おど)っている 人(ひと)が 見(み)えました。 太郎蔵(たろぞう)は、これこそ 易者(えきしゃ)の 言(い)った 扇(おうぎ)踊(おど)りをする 者(もの)に 違(ちが)いないと、さっそく 弓(ゆみ)を 持(も)ってくると、ヒューと 矢(や)を 放(はな)ちました。しかし、 矢(や)は 当(あ)たったはずなのに、 扇(おうぎ)踊(おど)りをしていた 人(ひと)は、 煙(けむり)のように 消(き)えていなくなってしまいました。
 その 日(ひ)の 午後(ごご)、 太郎蔵(たろぞう)の 息子(むすこ)の 倉蔵(くらぞう)が 外庭(そとにわ)で 仕事(しごと)をしていると、「ウーン、ウーン」と、 人(ひと)のうなり 声(ごえ)がどこからともなく 聞(き)こえてきました。 気味(きみ)が 悪(わる)いので、 声(こえ)のする 方(ほう)をあちこち 探(さが)し、 最後(さいご)に 土蔵(どぞう)の 方(ほう)から 聞(き)こえてくるようなので、 中(なか)に 入(はい)っていくと 一人(ひとり)の 老人(ろうじん)が 苦(くる)しそうにうなっていました。 倉蔵(くらぞう)が 恐(おそ)る 恐(おそ)る 近寄(ちかよ)って、「あなたはどなたですか。」とたずねると、 老人(ろうじん)は「わしはこの 家(いえ)の 福(ふく)の 神(かみ)だが、この 家(いえ)の 主人(しゅじん)に 弓(ゆみ)でうたれたので、この 家(いえ)にいることができなくなり 社(やしろ)川(がわ)の 福井(ふくい)( 棚倉町(たなぐらまち))に 移(うつ)ることにした。 別(わか)れにひとこと 言(い)っておく。お 前(まえ)が 困(こま)るようなときは、いつでもわしを 訪(たず)ねてきてくれ。 太郎蔵(たろぞう)には 弓(ゆみ)でうたれたが、お 前(まえ)には 何(なに)もされていないのだから。」と 言(い)うと 消(き)えてしまいました。
 それから 間(ま)もなく、 太郎蔵(たろぞう)は 福(ふく)の 神(かみ)のたたりか 人(ひと)の 嫌(いや)がる 病気(びょうき)になり、あれほど 盛(さか)んだった 家(いえ)も、 訪(たず)ねてくる 人(ひと)もなくなり、すっかり 没落(ぼつらく)してしまいました。そして、 太郎蔵(たろぞう)の 死期(しき)もいよいよとなったある 日(ひ)、 倉蔵(くらぞう)を 枕元(まくらもと)に 呼(よ)んで、「わしは 易者(えきしゃ)の 言(い)うことを 真(ま)に 受(う)けて、 扇(おうぎ)踊(おど)りの 者(もの)を 弓(ゆみ)でうったのは 間違(まちが)いだった。」と 言(い)うと 息(いき)をひきとってしまいました。
 その 後(ご)、 生活(せいかつ)が 苦(くる)しくなり 途方(とほう)に 暮(く)れていた 倉蔵(くらぞう)は、あの 時(とき)の 福(ふく)の 神(かみ)の 言葉(ことば)を 思(おも)い 出(だ)し、 福井(ふくい)に 行(い)き、 近(ちか)ごろめっきりと 金持(かねも)ちになったという 農家(のうか)を 訪(おとず)れ「 福(ふく)の 神(かみ)様(さま)、 私(わたし)は 渡瀬村(わたらせむら)の 倉蔵(くらぞう)です。 今(いま)、とても 困(こま)っています。どうぞお 助(たす)けください。」と、 心(こころ)を 込(こ)めて 丁寧(ていねい)に 拝(おが)みました。すると、 生活(せいかつ)はだんだんと 少(すこ)しずつ 楽(らく)になっていきました。そして、 倉蔵(くらぞう)は 福(ふく)の 神(かみ)に 感謝(かんしゃ)し、 扇(おうぎ)踊(おど)りをしていた 辺(あた)りに 小(ちい)さな 社(やしろ)を 建(た)て 大事(だいじ)にまつると、 倉蔵(くらぞう)の 家(いえ)はまた 昔(むかし)のように 豊(ゆた)かになりました。それ 以来(いらい)、 誰(だれ)いうとなく、そこを「 福原(ふくわら)」というようになったということです。

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